銭湯は快楽を求める場なのか、神聖な場なのか、、、
圧倒的に前者ー!
最近は脱衣所に足を踏み入れた瞬間よだれがでてしまうので、ちょっとやばいなとも思っています。
というか銭湯行こうと考えるとよだれがでます。
でもほんとーに、銭湯というか交代浴は気持ち良いんですよね〜
サウナと水風呂を交互に入り、自律神経を整える事でストレスを減らし、スーパー穏やか〜な気持ちになれる行為。
先日、あるお風呂好きの方が、銭湯に入る前に一礼をするという事を言っていてはっとしました。
彼は、銭湯を神聖な場所として認識している。
お風呂の名所を訪れるさい、自分の行きたいという気持ちよりも、その場所に呼ばれたか呼ばれていないかが基準との事。
スピリチュアルな視点でお風呂をみている猛者です。
サウナの話になりますが、フィンランドではサウナは神聖な場所として位置つけられています。
ほんの2~30年ほど前まで、サウナはこの世への入り口であり、出口でもありました。女性はサウナの中で出産し、人が死ぬと最後にサウナの中で遺体が洗われました。
私はいま京都に住んでいますが、この街は銭湯が多いです。
そして昔はもっと多かったとの事。
そして興味深い話もききました。
『お寺と銭湯はだいたいセットやって、みんな身を清めてからお寺参りに行った。』
たしかにお寺でお参りするさい、口と手を清めるというセクションがあります。
そう考えると銭湯も身を清める神聖な場所と言えるなと思いました。
また、東京の銭湯の話ですが、神社仏閣のような宮造り様式になっているとの事。
参照元 銭湯ことはじめ—庶民の入浴文化
これも神聖な場としての素質ありですよね。
交互浴の中で体験する精神世界との出会いは依存性があり、私も多い時で週3、4で通います。
お風呂仲間が『銭湯教っていう宗教やな』と言っていましたが、あながち合っているな思う今日この頃。
宗教の定義を
『神または何らかのすぐれて尊く神聖なものに関する信仰。また、その教えやそれに基づく行い。』
とするならばしっかりあてはめる事もできます。
交互浴の中で姿を表す精神世界を神聖なものとし、週3、4で通う私は信仰しているかと思いますし
しっかり教えも請うてます。
以上の事から、銭湯は寺社仏閣同等の存在と言っても過言は無いな。と感じます。
と同時に1つの宗教でもありますね。
お布施は500円弱と良心的なのでおすすめです。
次に銭湯いく時は、快楽を求める気持ちを抑え、
神聖な場所で身を清めるという考えのもと、銭湯にのぞんでみようと思います。
もしかしたら新しい発見、ネクストステージへの扉が発見できるかもしれないので楽しみです。
おわり