静岡県西部、奥浜名湖の名物といえば「みそまん」。
その代名詞とも言われた「紅屋製菓(べにやせいか)」が、2018年いっぱいで閉店しました。
しかし、奥浜名湖にはまだまだ美味しいみそまんのお店がたくさんあります!
紅屋がいなくなったからこそ「我こそは!」と台頭してくるお店もあるかもしれません。
この記事では、100年以上愛される続ける『奥浜名湖みそまん』の特徴や歴史を紹介します。
奥浜名湖のみそまん
一般的にみそまんは、味噌を用いた和菓子の饅頭とされています。
が、奥浜名湖みそまんは基本的に味噌を使いません。
黒糖を煮詰めて作る茶色のまんじゅうが『味噌の色に似ている』という声から『みそまん』と呼ばれるようになりました。
各店で様々な工夫があり、山芋、納豆などを隠し味に使うものもあるだとか。
奥浜名湖のみそまんの歴史
奥浜名湖みそまんについて、わかりやすいお話を見つけたので掲載させていただきます。
始まりは1900年頃。
愛知県の東に位置する豊橋や新城から、浜松の方広寺に向かう道に『大谷街道(おおや街道)』があります。
その途中にある『風越峠(かざこしとうげ)』に、小さな茶屋がありました。
旅人に人気だったのが、みそまんと同じように黒糖で作られた『茶まんじゅう』。
大谷という地域にあった事から『大谷まんじゅう』と呼ばれ、愛されていた饅頭が『奥浜名湖みそまん』の始まりです。
参照元 のんびり・ゆったり まいーか浜松
方広寺と風越峠を峠を地図で表すとこんな感じ。
左側の紫色ピン、下が豊橋、上が新城市。
右のピンクのピンが方広寺。
その間、方広寺の手前にある緑のピンが風越峠(かざこしとうげ)です。
みんな風越峠の茶屋で旅の疲れを癒して方広寺に行ってたんですね。
みそまんが地域に定着した理由
上で紹介した話の他に、こんな理由があります。
当時、全行程を手作業で行い、手間をかけて作ったみそまんは、感謝の気持ちを伝える『証』となっていました。
その為この地域では、お供えや法事の引き出物は『みそまん』。
和尚さんの都合より、『みそまん作れるか?』とおまんじゅう屋さんの都合を聞いてから法事の日程を決めただとか。また、田植えや、浜松の特産であるみかんを狩る季節になると、出稼ぎにくる方も多く、たばこ休憩の時は近くのおまんじゅう屋さんからみそまんが運ばれていたのだそうです。
ちなみに方言で、たばこ休憩の事を『おたぼこ』と言っていたみたい。
参照元 のんびり・ゆったり まいーか浜松
今でもこの地域では、10店舗以上のお店が、自慢のみそまんを作っています。
みそまん食べ比べ
食べ比べてみたいなあと思ったあなたに朗報!
実は、「浜名湖みそまん物語」という食べ比べできるセットが売っているんです!
・ H31・1/20(日) 篠原協働センターまつり(篠原協働センター)
・ H31・1/26(土) 中部協働センターまつり(中部協働センター)
・ H31・3/3(日) 北区deまつり(浜松フルーツパーク時之栖)
参照元 浜松市エネフィーブログ
今後もどこかの催事で販売するタイミングもあると思うので、「浜名湖みそまん物語」でググってみて下さい。
情報が出てくる事もあるかと思います。
おまけ
もちろん、実店舗を巡るのも面白いかと思います!
店舗は、奥浜名湖に密集しているのである程度は回りやすいです。
みそまんの歴史の話で出てきた方広寺は、湖北五山と言って浜松でも見応えのあるお寺です。
また大河ドラマでご存知かもしれませんが、『女城主 直虎』の舞台、井伊谷もこのあたりです。
合わせて足を運んで頂いても楽しいかと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
おわり