2019年1月2日書き直し
毎年1/3の14時から18時。
400年以上前から引佐町渋川で行われて続くている「寺野ひよんどり」
今回は、国の文化財に選ばれ、「火踊り」や「鬼踊り」を見ることができる「寺野ひよんどり」をご紹介いたします。
寺野ひよんどりとは?
寺野のひよんどりの「ひよんどり」は「火踊り」がなまった呼び名。
タイマツを手に舞い踊るからのその名前がつきました。
毎年1/3の14時から、引佐町渋川の「寺野宝蔵寺観音堂」で、1575年から続く歴史あるお祭りです。
田楽能と呼ばれる様々な舞で、神様に楽しんで頂き、農作物の豊作を願います。
寺野ひよんどりの見所
「田遊び」と呼ばれる田楽能がベースで、14時〜18時の間にいくつもの演目が披露されます。
見所は、「鬼の舞」。
三匹の鬼が激しく舞いながら松明の火を乱打させる姿は、とても見ごたえがあるとの事。
また、演目で使われるお面を見るのも楽しみの1つ。
1698年、1700年、1705年などの年号が記入された、古くから伝えられているお面が17点あり、そのうち5点は漆塗りで大変貴重だそうです。
参照元 浜松情報BOOK
写真で見る寺野のひよんどり
どこで見れるの?
浜松市北区引佐町渋川の宝蔵寺観音堂(三日堂)で、毎年1/3に行われています。
昔は、寺野観音堂という場所でやっていたとの事なので、そちらにも足を伸ばしてみたいな。
いろいろ発見がありそうです。
寺野のひよんどりの歴史
1575年6月28日、愛知県の東部(三河地方)で武田軍と織田・徳川連合軍繰り広げていた「長篠の戦い(ながしののたたかい)」までさかのぼります。
武田側として戦いに明け暮れていた三河武士「伊藤一族」。
戦うのに疲れ、山を越え引佐町渋川の地にたどりつき、5人の息子と一緒に村を作ったのが始まりです。
そのため引佐町渋川は「落人の里」とも呼ばれます。
寺野ひよんどりは、その頃に三河武士であった伊藤氏が、三河から持ち込んだと言われています。
当時は、使用するお面や衣装も自作したそうです。
伊藤一族について
驚く事に伊藤一族の家系は今も続いています。
20代目の伊藤信次さんは日展にも入選している日本画家。
その息子さんである八右さんも、能面師として今も活躍し、寺野ひよんどりの文化を守り続けています。
1742年に伊藤さんの先祖である、伊藤祐俊(いとうすけとし)さんが描いた2つの涅槃図(ねはんず)は、現在でも寺野の近くに2つあるそうです。
1つは臨済宗方広寺派『東光院』。
もう1つも、方広寺派『光雲寺』にあるとの事。
参照元 涅槃図巡りで新たな発見 自らの生と死を省みる
ちなみに涅槃図はお釈迦様が死んだ時の絵です。
おまけ
寺野ひよんどりは当時、囃子方・舞手、そして講衆までもが各家ごとに役割が決まっていたとの事。
今は、町ぐるみで役割を分けているみたいですが、町全体で作る1つの芸術作品を見に行ってはいかがでしょう?
最後まで読んで頂きありがとうございました。
おわり