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行基の故郷『四方浄』を紐解く② ~南の観世音菩薩~

行基の故郷『四方浄』を紐解く② ~南の観世音菩薩~

 

浜松市引佐町にある『四方浄(しほうじょう)』という地域は、奈良時代の伝説の僧『行基(ぎょうき)』が名付けたと言われています。
名前の由来は、四方浄の四方(東西南北)の仏像を置いたからです。

 

東には『薬師如来』
西には『阿弥陀如来』
南には『観世音菩薩』
北には『釈迦如来』

 

地図で位置関係を見るとこんな感じです。

紫のピンが引佐町四方浄。
ピンクのピンが仏像が置かれた四方の地域です。

 

今回は、南に置かれた『阿弥陀如来』について調べてみようと思います。

 

ちなみに前回は、西の引佐町川名『薬師如来』について書きましたので良かったらそちらも。

 

 

 

観世音菩薩とは?

まず最初に観世音菩薩についてお話しを少し。

観世音菩薩、または観音菩薩とも言われます。

観音菩薩は、実はまだ仏の悟りを開いていないんですよね。

観音菩薩とは、民衆の声に耳を傾け、苦しみを救う事で仏の悟りを開こうとしている人です。
立場的に人間に近く、教えるのも上手なので、民衆の人気者でした。

 

また、菩薩の人気の理由には、装飾が豪華という点もあります。
それは、人類で唯一、仏の悟りを開いた釈迦パイセンが、悟りを開く前の王族時代をイメージして作られたからなんです。

 

 

観音菩薩はまだあるの?

行基が作ったとされる観音菩薩は、浜松市北区引佐町伊平の竹馬寺にあるとの事です。

だいたい仏像や仏教関係の物は、神道と仏教をかけ離すため明治時代に行われた破壊運動『廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)』や、戦国時代、戦争などの戦火によって新しい物になっている事が多いです。
しかし竹馬寺にある観音菩薩は、行基作の物が今も守られているとの事。

正確には観音菩薩ではなく『十一面観音菩薩』。

 

観音菩薩は、人々の願いに合わせ、様々な姿に変化できるすごいやつです。
ポケモンでいうイーブイみたいなやつですね。

十一面観音菩薩も観音菩薩がもっとたくさんの人を救えるようにと顔を増やした系です。
世界中にはいろんな菩薩がいて面白いですよ!

 

 

観音菩薩がある場所『伊平』、またの名を『伊平仏坂』とも言います。
1572年の徳川家と武田軍の争い『仏坂の戦い』の前に、井伊直虎が仏像を戦火から守る為に、細江町気賀の『観行院』」に避難させたという言い伝えもあります。

 

 

竹馬寺はどこにあるの?

十一面観音菩薩がある竹馬寺は、浜松市北区引佐町伊平にあります。
しかし、十一面観音菩薩に会えるのは基本的に33年に一度。
11年毎に見れる場合もあるとの事ですが、次回は2038年かな?
まだまだ先だ、、、、

 

 

最後に

引佐町川名にある、東の薬師如来と同様、南の観音菩薩にも様々な物語があってワクワクしますな。
見る楽しみが1億倍高まりました。

 

西の『阿弥陀如来』と、北の『釈迦如来』も引き続き調べていきまする!

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

おわり