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見に行ける浜松の隠れ里。天竜区春野町「京丸の里」

見に行ける浜松の隠れ里。天竜区春野町「京丸の里」

※2018年11月3日に公開した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を追記、その他の部分も修正して2019年1月30日に再度公開しました。

見に行ける浜松の隠れ里。
秘境と言われる、天竜区春野町「京丸の里」をご紹介いたします。

 

京丸の里とは

京丸の里とは、静岡県浜松市天竜区春野町の山奥にある村です。

1300年代から続く村ですが、1600年まで存在を知られず地図に載っていなかった為「隠れ里」とも呼ばれています。

隠れ里とは・・・
人目を避けた人たちがひそかに住む村里。
人里遠く離れた所にあるという理想郷。
引用 コトバンク

民俗学者の折口信夫(おりくち しのぶ)さんも興味を示し足を運んだ場所です。

また 京丸の里は、遠州七不思議の1つ「京丸牡丹」の話の舞台でもあります。

 

京丸の里の歴史

杉の木の画像

京丸の里の歴史は、1300年代の中期から始まります。

京丸の里を作った人は、元々京都に住んでおり、南北朝争いのいざこざから逃れ この地にたどり着きました。

一説によれば、南北朝時代に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)側の人物で、足利尊氏の追手から逃れてきたとも言われています。

その後、多い時で20軒を超える集落になりながらも、1600年代までの約300年間は世間から見つかる事なく、ひっそりと暮らしていたそうです。

また京丸の里は、京都に住んでいた人が作った村なので「京丸」という名前がついたとされています。

ちなみに京丸の里の存在が明らかになった理由は、里が水害を受けた時に、下の村へ茶碗や生活用品が流れた事がきっかけだそうです。

 

現在の京丸の里

京丸の里イメージ画像

隠れ里や秘村と呼ばれる場所は、生活の不便さ・特殊な風習・異質な宗教観などから世の中から消えてしまいがちですが、京丸の里は、歴史的価値がある場所とされ今も残されています。

そして、1980年まで人も住んでいました。

藤原忠教さんという方で、京丸の里を作った方の子孫だそうです。

その方が住まれていた家「京丸藤原家住宅」は今も残っています。

民俗学者の折口信夫さんは、当時 藤原さんの家に宿泊されたそうです。

 

京丸の里への行き方

京丸の里へは、最寄りの駐車スペースから2時間弱の山道を歩けばいけるとの事。

実際行かれた方のブログはこちら
>> 京丸の藤原家|ちょこっと日帰り旅行~伊豆の田舎より~

下の地図は、京丸の里最後の住人藤原さん宅です。

また、記事の最初の方にも書きましたが、京丸の里は遠州七不思議の1つ「京丸牡丹」の話の舞台です。

京丸の里に行く前に読んでおくと、より楽しめるかと思います。

 

おまけ

京丸牡丹のイメージ画像

京丸の里の周辺の山は、国指定の天然記念物であるヤシオツツジの群生地。

3,000本の純林は、一見の価値ありかと思います。

ヤシオツツジの見頃などは、「国の天然記念物『ヤシオツツジ』が3,000株、浜松市春野町の岩岳山」をお読みください。

 

以上です。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

またきてんぐ